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平成芭蕉の日本遺産 三重県鳥羽市・志摩市の海女(Ama)に出逢えるまち

日本遺産の地を旅する~鳥羽・志摩の素潜り漁に生きる海女さん

枕草子の290段「うちとくまじきもの(打ち解けにくいもの)」には「海はなほいとゆゆしと思ふに、まいて、海女のかづきしに入るは、憂きわざなり」と海女についての記載があります。

作者の清少納言は「海はやはりとても恐ろしいと思われるのに、まして、海女が獲物を捕りに潜るのは大変つらいことである」と所見を述べているのです。

また、平安時代の「延喜式」には「志摩の潜女(かづきめ)(海女)」の記事もあり、海女が獲ったアワビや海藻類を都に納めていたことを伝えています。

「志摩の潜女(かづきめ)(海女)」

この女性が素潜りでアワビや海藻類を獲る海女漁の始まりは、約2,000年前まで遡り、世界でも日本と韓国のみの希少な漁法であると言われています。

今日、この海女は世界でも注目される存在になりつつありますが、令和元年5月20日、「海女(Ama)に出逢えるまち 鳥羽・志摩~素潜り漁に生きる女性たち」というストーリーが日本遺産に認定されました。

日本で最も多くの海女が暮らす鳥羽の相差

日本で最も多くの海女が暮らす鳥羽の相差は、「3世代海女」で人気を集める中川寿美子さん、早苗さん、静香さんが活躍する町ですが、海女文化を紹介する海女文化資料館があります。

この資料館では昭和30年代の海女の作業風景が等身大のジオラマで再現されており、今では使われなくなった「石いかり」などの漁具なども展示されています。

どーまん・せーまんが描かれた「石いかり」

海女の潜水時間は平均すると凡そ50秒ですが、1秒でも早く海底に潜るために海女はこの重い「石いかり」を使ったのです。

この「石いかり」には、「どーまん・せーまん」と呼ばれる魔除けのおまじないの印がついており、磯綱と呼ばれるロープが結わえられ、船上にいる海女の夫が、そのロープを手繰っていました。

相差海女文化資料館脇の坂道になっている参道沿いには、築80年という古民家を改修した海女の家「五左屋」があり、さらに参道を登りきるとそこには知る人ぞ知るパワースポット、「石神さん」と呼ばれる神明神社が鎮座しています。

海女の家「五左屋」

「石神さん」は海女さんが大漁と安全を祈願した女神様で、女性の願いを必ず一つは叶えてくれると、古くから信仰を集めてきました。
境内には「長寿の館」と呼ばれる、ご神木の楠の枯木もあり、長寿を願う人たちも訪れています。

神明神社境内の「長寿の館」

しかし、海上安全祈願の聖地と言えば、伊勢湾周辺の人たちに「青の峯さん」と親しまれ、「天王くじら祭り」で知られる青峯山正福寺です。

入口の大門には海の寺だけあって、龍などの彫刻に加えて「海老」や「魚」が隠れて彫刻されており、ご本尊を祀る金堂も立派なお寺です。

青峯山正福寺の金堂

ご本尊の「クジラに乗った観音様」伝説に登場する黄金の十一面観音菩薩は、海女さんなどの海に携わる人々から厚い信仰を集めていますが、この「十一面観世音菩薩発祥之碑」は、的矢湾と千鳥ヶ浜海水浴場の間にある鯨崎半島の岬に建っており、碑に至る遊歩道には「海女小屋」もありました。

鯨崎半島にある海女小屋「相差かまど」

この相差や志摩の漁港周辺にある「海女小屋」は本来、海女が身体を休め、憩うためのものでしたが、今日では現役の海女の話を聞きながら、囲炉裏の火で焼いた新鮮なアワビやサザエなどの魚介類を食したり、海女文化と海の幸の両方を楽しめる贅沢な空間となっています。

鳥羽・志摩の海女文化を五感で感じる

海女さんは「亭主一人を養って一人前」と言われていますが、とても気さくで、海での漁の話だけでなく、日々の暮らしのことなど、何でも気軽に話してくれます。

海女小屋での海女さん

「海女小屋」では活きたアワビや伊勢エビに触れて(触覚)、海女さんが焼いてくれた海産物を食する(味覚)だけでなく、獲った獲物を仕分けする姿など、様々な海女の姿を目にすることができます(視覚)が、相差に宿泊すると美しい日の出とともに海の匂いも肌で感じることができます(嗅覚)

相差の美しい日の出

さらに、海女漁を見学すれば、海底から浮き上がった海女が呼吸を整えるために息を吐き出す「ヒュー、ヒュッ」という「磯笛(いそぶえ)」も聞くことができます(聴覚)

ななわち、鳥羽・志摩では海女さんの生活を五感(触覚・味覚・視覚・嗅覚・視覚)で感じることができるのです。

倭姫命伝説の残る御潜神事再現の地

そして、この地域の海女さんは、授かったアワビなどの海産物を神饌(しんせん)として伊勢神宮に奉納する伝統や、海女さんが中心的な役割を果たす御潜(みかづき)神事などの行事が、現在でも継承されている点で他の海女さんのいる地域とは異なっています。

実際に鳥羽市の国崎(くざき)では、毎年、海女が獲ったアワビが「熨斗鰒(のしあわび)」という干物に加工されて伊勢神宮に奉納されています。

国崎の「熨斗鰒(のしあわび)」づくり

熨斗鰒(のしあわび)奉納の由来は、鎌倉時代にできた伊勢神宮の神道書「倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)」に記されており、天照大神を伊勢にお祀りした倭姫命が、神様の食べ物を求めて国崎を訪れたところ、「おべん」という海女からアワビをもらい、大変美味であったことから、この地をアワビ奉納の地と定めたと言われています。

その伝説の海女「おべん」は、国崎町の海士潜女(あまかづきめ)神社に祀られていますが、鳥羽地方では潜ることを「かづく」と言うので「潜女」とは海女のことです。

今日、私たちが美味しいアワビなどの「御馳走」を食べることができるのは、古代に倭姫命が美味しい食材を求めて走りまわってくれたおかげです。

「おべん」を祀る海女潜女神社

そんな伊勢志摩の里海を守り続けているのが海女さんで、海女さんは地域ごとに漁期を定めたり、種ごとに捕る大きさを定めると同時に「岩をめくったら元に戻す」という資源を守る努力をされています。

この努力があってこそ、2000年の長きにわたって神宮に食材を献上し続けられたのです。

この教えは倭姫命の「左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻(めぐ)る事も
万事違ふ事なくして、大神に仕え奉れ。元を元とし、本を本とする故なり。」に通じるものがあります。

私は「左左右右(ささうう)元元本本(げんげんぽんぽん)」と教わりましたが、不自然なことをせずに常に初心を忘れず、初めに戻るべしと理解しています。

倭姫命が国崎を訪れた記念碑

また、志摩市には伊勢神宮の別宮で「志摩一ノ宮」とされる伊雑宮(いざわのみや)がありますが、地元では「磯部のお宮さん」とも呼ばれています。

「志摩一之宮」伊雑宮

それは、古来より「海女」や「漁師」が、この伊雑宮のお守りである「磯守」を身につけて漁へ赴き、海からの厄災に対してのご加護を授かっていたことに由来します。

しかし、伊雑宮と言えば「磯部の御神田(おみた)」というお田植式で知られており、これは国の重要無形民俗文化財に登録され、日本三大田植祭の一つとなっています。

伊雑宮のお田植祭

「海女文化」の深みを味わえる鳥羽・志摩の日本遺産

私の祖先は荘園での田植えや杣山から生計を立てていましたが、海女は海から命を頂いて生計を立てています。
それは、まさに「人事を尽くして天命を待つ」といった生き方です。

山と同様に、海も与えはしますが同時に奪いもする危険な存在なので、海女であれば家族や友人をこの海で失うという経験をしているはずです。

それを知っているからこそ、海女さんたちは毎日を楽しく、明るく精一杯に、神仏に感謝しながら生きているのです。

海女小屋「はちまんかまど」の海女さん

鳥羽・志摩をめぐれば、古くから自然を敬い、海とともに生活してきた海女の生活と信仰が今も息づいていることが体感でき、「海女小屋」で元気な海女さんから体験談などを聴けば、生きるパワーをもらえることは間違いありません。

私は「海女(Ama)に出逢えるまち 鳥羽・志摩~素潜り漁に生きる女性たち」という日本遺産の物語の旅を通じて、「海女文化」の一言では言い表せない「深み」を感じました。

海女(Ama)に出逢えるまち 鳥羽・志摩~素潜り漁に生きる女性たち

日本遺産ストーリー 〔三重県鳥羽市・志摩市〕

豊かな海産物に囲まれた鳥羽・志摩は、全国の約半数の海女が活躍する日本一の「海女に出逢えるまち」である。
この地域で、女性が素潜りでアワビ、サザエや海藻を獲る海女漁の始まりは約2,000年前まで遡り、世界でも日本と韓国のみの希少な漁法である。
海女が獲った海産物は伊勢神宮に「神饌(神様に捧げる供物)」として奉納され続けており、海女が中心となる祭りも継承されているなど、海女ならではの風習や信仰などの「海女文化」が今も色濃く息づいている。
鳥羽・志摩をめぐれば、海女文化を「五感」で体感でき、元気な海女からパワーをもらえるに違いない。

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