日本遺産の地を旅する~「戦艦大和」ゆかりの呉鎮守府と海上自衛隊呉基地
日本人の誇り「戦艦大和」のふるさと、呉軍港
日本有数の漁港、塩竃の次に訪ねたのは、日本近代化に貢献した呉鎮守府の置かれた戦艦大和のふるさととして知られる呉軍港です。
今回は呉、横須賀、佐世保、舞鶴の鎮守府が置かれた4市の合同ガイド研修会に招かれての視察でした。
まず、訪れたのは呉市海事歴史科学館、通称「大和ミュージアム」です。
呉海軍工廠で建造された戦艦大和の模型をはじめ、ゼロ戦や人間魚雷「回天」も展示されており、規模はアメリカのスミッソニアン博物館に及びませんが、内容は日本人の誇りを感じさせてくれる素晴らしいいミュージアムです。
日本海軍の象徴として長く国民に親しまれ、現在、ビキニ環礁に眠る「長門」も素晴らしい戦艦ですが、「大和」はその名前の通り、大和魂を結集した日本人の叡智の結晶だったと思われます。
すなわち、当時の日本が持っていた技術力、知識、資源を結集させた、驚異の高性能艦で、このノウハウが戦後の日本の近代化に貢献したことは間違いありません。
隣接する「てつのくじら館」は海上自衛隊呉資料館で、実物の潜水艦「あさしお」が展示されており、秘密のベールに包まれている潜水艦内の操舵室が見学でき、乗員の食事内容など興味深い展示もありました。
「夕呉クルーズ」で海上自衛艦船でのセレモニー見学
しかし、今回の私の楽しみは「夕呉(夕暮れ)クルーズ」で、日の入り時刻に海上自衛艦船の自衛艦旗(16条旗)が降ろされるセレモニーの見学でした。
通常の「艦船巡りクルーズ」は以前にも乗船していますが、この太陽が沈むタイミングで沖合から「君が代」吹奏を聞けるのは貴重な体験なので、私は船のタイタニック席からこの海上自衛隊の儀式を鑑賞させていただきました。
近鉄ファンの私としては呉港に護衛艦「島風(しまかぜ)」が来ていたら、もっと感銘を受けていたのですが、やはり「島風」に会うには佐世保港なのでしょう。
翌日はまず、旧海軍墓地の長迫公園を訪ねて「戦艦大和戦死者之碑」を前に、今日の平和に感謝したのですが、次に訪れた「歴史の見える丘」で戦争歌人の渡辺直己さんの歌碑を発見したのには感激しました。
呉出身の戦争歌人「渡辺直己」の歌碑を発見
これまでは「ああ戦艦大和之塔」の存在しか目に入らなかったのですが、その傍に
「ほそぼそと かけたる月に対(むか)ひつつ、戦はつひに寂しきものか」
と刻まれた渡辺直己の歌碑を見つけたのです。
渡辺直己さんは、戦争の惨禍だけでなく、敵兵への愛情や戦争そのものへの批判と反省を織り込んだ歌集を残され、戦う知識人として後世に広い影響を与えた呉出身の立派な軍人でした。
入船山記念館と呉の鎮守の神様を祀る亀山神社
最後に旧呉海軍工廠塔時計、旧東郷家住宅離れ、旧高烏砲台火薬庫、そして国の重要文化財に指定されている旧呉鎮守府司令長官官舎のある入船山を訪ねました。
この地には古くから呉の鎮守の神様を祀った亀山神社がありましたが、明治になって入船山が海軍用地になったため、亀山神社は移転させられたという歴史があります。
この亀山神社は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の三柱を主祭神とする呉の総氏神ですので、いかに海軍と言えどもちょっと横柄だったように感じます。
前回、私が呉を訪れた際には亀山神社も参拝していますが、今回の視察は日本遺産の鎮守府がテーマなので、入船山記念館を時間をかけて見学しました。
鎮守府4市の働きと日本の誇り「大和」
近代日本の海防を担った呉・横須賀・佐世保・舞鶴の4市はともに天然の良港で、鎮守府が置かれるまでは静かな農漁村でした。そこに人と先端技術が集積されて、水道などのインフラ整備も進み、日本の近代化に貢献したことは間違いありません。
しかし、この日本遺産における近代化のストーリーも大切ですが、亀山神社が鎮座した飛鳥時代の古代から続く歴史物語も大切にしたいものです。
なぜなら、呉で生まれた戦艦大和や渡辺直己さんの魂は、聖徳太子の憲法17条の「一に曰く、和をもって貴しと為し」に通じるからです。
また、日本武尊は
「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 倭(やまと)しうるはし」
と詠んでいますが、呉で生まれた戦艦大和(やまと)も日本国の優れた遺産であり、誇りだと思います。
鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~
日本遺産のストーリー〔呉鎮守府〕
明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急務であった。
このため、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築いた。
静かな農漁村に人と先端技術を集積し、海軍諸機関と共に水道、鉄道などのインフラが急速に整備され、日本の近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生した。
百年を超えた今もなお現役で稼働する施設も多く、躍動した往時の姿を残す旧軍港四市は、どこか懐かしくも逞しく、今も訪れる人々を惹きつけてやまない。