日本遺産の地を旅する~テレビドラマ『陸王』の舞台「足袋の行田」
足袋と言えば行田
埼玉県行田市は、県名発祥の地とされる「さきたま古墳公園」や世界最大の田んぼアート、映画「のぼうの城」の舞台になった忍城など、貴重な史跡が残っている町です。
しかし、木綿の産地でもある行田市は中山道が近くにあり、主に旅行用や作業用の足袋が作られました。明治時代になって、忍商業銀行や行田電澄株式会社が設立されると、資金と電力の供給が安定してミシンの電動化がすすんだことから、行田市は日本一の足袋生産地となりました。足袋を保管している倉庫「足袋蔵」は約80棟現存していますが、足袋蔵は、100年以上続く歴史の中で新しい建築様式を取り入れてきました。江戸時代の大火では、足袋蔵が延焼を防ぎ、稲荷神社の手前で鎮火したことから、各店舗には屋敷稲荷が火災除けとして祀られているのが印象に残ります。石造、煉瓦造、モルタル造、鉄筋コンクリート造、木造など多種多様な足袋蔵が裏通りに軒を連ねており、平成29年4月28日に「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」のストーリーが、埼玉県内初の「日本遺産」に認定され、足袋製造は行田市が誇る名産品になりました。そしてテレビドラマ『陸王』のロケ地にもなった行田では、靴下が普及した今日でも足袋の生産が続けられており、日本一の足袋生産地として新製品を国内外に販売し、「足袋と言えば行田」とアピールしています。
ドラマの『陸王』は創業から100年以上続く行田市の老舗足袋メーカー「こばせ屋」が、経営難の打開策として「マラソン足袋」の開発に挑戦し、奮闘していく物語でした。ロケは行田市が全面協力しており、忍城や水城公園で行われ、1907年に行田市で足袋メーカーとして創業した「イサミコーポレーション」は、「こばせ屋」の外観として使われていました。
ピーク時には200社以上の中小規模の足袋商店に皆が寝食を惜しんでミシンを稼働させ、寸暇を惜しんで働く女工さんの間で、手軽に食べられるおやつとしてお好み焼きに似た「フライ」、おからのコロッケとも言える「ゼリーフライ」が流行し、地域の食文化として定着しました。
行田市民に愛されている「フライ」は、揚げ物ではなく焼き物で、小麦粉を水でやわらかく溶き、鉄板の上で薄く焼きながら、ねぎ、肉、卵などの具を入れ、お好みでソース、または醤油だれをつけて食べるものです。見た目はお好み焼きのようですが、食感はクレープのようなふわりと軽い食感が楽しめます。
行田市民のソウルフードともいえる「ゼリーフライ」は、ジャガイモ、人参、たくさんのおからが入っており、食物繊維豊富でヘルシーなので、おやつとして親しまれていますが、そのルーツは、日露戦争のときに中国から伝わった「野菜まんじゅう」といわれています。
また、取引先への手土産として好まれた奈良漬も行田の名物となっています。
当時の『行田音頭』の歌詞には「足袋の行田を想い出す」とありますが、今日でも「足袋の行田か行田の足袋か」と言われる行田は日本人として誇れる町だと思います。
行田足袋と奥貫蔵
行田市周辺は利根川と荒川という二大河川の挟まれており、両河川の氾濫で堆積した土壌は藍染めの原料となる藍の栽培に適していました。
そして近世に藍染めの綿布生産が盛んになると、これを原料に培われた縫製技術を活かして足袋づくりが始まったのです。
特に明暦の江戸大火で革不足となり、木綿足袋の需要が増えると出荷まで製品を保管しておく倉庫としての足袋蔵が必要となり、土蔵の転用だけでなく、敷地内の一番奥に足袋蔵が多く建てられるようになりました。
忍城の城下町の整備とともに間口の広さに応じて課税されたため、多くは間口が狭く、奥行きが長い短冊型の敷地になっています。
このような短冊形の敷地に、赤城おろしの北風に備えて北西方向のみを塗り壁にして防火・防寒対策も施されて足袋商店特有の建物が並んでいます。
「蔵のまち」は全国にありますが、“足袋蔵”がある町は行田だけです。江戸後期から昭和30年代初頭に建てられた「足袋蔵」は現在も約80棟残されており、ギャラリーや飲食店に再利用されています。
私は古い足袋蔵・奥貫蔵を改修して生まれ変わった「蕎麦 あんど」で、きのこそばセットを食べましたが、味もさることながら大正時代にワープしたような気分を味わうことができました。
行田市のシンボル、「浮城」と呼ばれる忍城跡
行田市の日本遺産ストーリーを構成する資産は39件で、その内訳は次の通りです。
・建造物26件:牧野本店店蔵・主屋・土蔵・足袋とくらしの博物館、時田蔵、保泉蔵、大澤久衛門家住宅・土蔵など
・史跡4件:「浮城」と呼ばれる忍城跡、埼玉古墳群、石田堤、高橋家の芭蕉句碑
・有形文化財2件:足袋製造用具及び製品
・無形文化財4件:初午祭、行田の奈良漬、フライ、ゼリーフライ
・古文書3件:享保年間行田町絵図、秋山家文書、天保年間行田町絵図
これらの構成資産の中でも有名なのは映画『のぼうの城』で有名な忍城でしょう。和田竜先生の小説が原作の映画「のぼうの城」は、行田市の忍城が舞台で、関東7名城のひとつとして数えられた忍城は石田三成の水攻めにも耐えた「浮き城」として知られていますが、当主の従兄弟の成田長親の「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれ領民に親しまれていました。
私は、この忍城の歴史については、元忍藩主で老中でもあった阿部忠秋の末裔、阿部正靖さんからいろいろお話をお伺いしました。
阿部氏と言えば、ペリー来航時に幕府の優秀な老中であった阿部正弘が有名ですが、とにかく老中を多く輩出した名門の家系です。
その阿部家の血を引く阿部正靖さんは私の大学の先輩でもあり、これまでにも何度か講演をしていただいておりますが、忍城が続百名城に認定され、戊辰戦役150年を記念講演でした。
忍城は成田氏の居城として知られていますが、関東七名城のひとつで江戸時代には老中、阿部忠秋が治めていたのです。
模擬天守ですが、城門、土塁、水堀と揃っており、ドラマ『陸王』でも忍城の二層櫓が役所広司と一緒に映っていたシーンが思い出されます。
和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田
日本遺産ストーリー 〔行田市(埼玉県)〕
忍城の城下町行田の裏通りを歩くと、時折ミシンの音が響き、土蔵、石倉、モルタル蔵など多彩な足袋の倉庫「足袋蔵」が姿を現す。
行田足袋の始まりは約300年前。武士の妻たちの内職であった行田足袋は、やがて名産品として広く知れ渡り、最盛期には全国の約8割の足袋を生産するまでに発展した。
それと共に明治時代後半から足袋蔵が次々と建てられていった。
今も日本一の足袋生産地として和装文化の足元を支え続ける行田には、多くの足袋蔵等歴史的建築物が残り、趣きある景観を形づくっている。