日本遺産の地を旅する~山梨県の縄文集落と縄文文化を探る
今回は日本遺産「星降る中部高地の縄文世界~数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅」の構成文化財の中で縄文王国山梨県の文化財ついてご紹介したいと思います。なお、この縄文文化を訪ねる旅は、5月21日に放映されたテレビ東京「ハーフタイムツアーズ」で紹介され、またその「ハーフタイムツアーズYouTubeライブ放送」では、私が「縄文人の健康法」についても触れています。
その「縄文人の健康法?」と題した私の「歴史ミニ講座」映像は下記の動画です。
縄文時代とは今から1万3千年前から3千年前までの約1万円間に日本列島に花開いた縄文文化が栄えた時代を指しており、それ以前は旧石器時代と呼ばれ、人々は狩猟をしながら移動生活をしていました。
しかし、縄文時代の人々は、採集・漁労・狩猟を主にしながらがら、ある一定の場所に定住生活をしていました。
縄文時代の食生活の基本は木の実中心の植物質の食料でしたが、採集ばかりでなく、豆類や雑穀の栽培も行われ、身の回りの自然環境をうまく利用しながらの生活でした。
そして、旧石器時代との大きな違いはこの定住生活にあります。日本列島は四季が激しく変化しますが、その自然環境に合わせて、採集・漁労・狩猟を使い分けることで、長い間定住できるようになったのです。
山梨県は縄文王国とも呼ばれ、約5000年前の縄文文化の一番華やかな時代である縄文中期に、一番繁栄していた場所と考えられています。
山梨県には縄文時代の遺跡が約1,900ヵ所もあり、全国でも有数の芸術性の高い縄文土器や土偶の宝庫といわれています。
日本有数の縄文博物館「釈迦堂遺跡博物館」
特に「釈迦堂遺跡」では約1,116個体もの土偶が出土しており、これは全国で出土した土偶の約1割に相当する数で、単独の遺跡からの出土数では国内最大量級です。
一つとして同じもののない個性あふれる土偶には、縄文人がそれぞれの思いを込めていたと想像できますが、出土した土偶はすべて壊れた状態で出土しており、土偶を割る祭祀が行われていたようです。
前期の土偶は板状で顔はありませんが、乳房が表現されていることから女性をかたどっていることは間違いありません。
これが中期になると立像となり、命そのものを見据えたものが多く、有名な「出産土偶」は出産の瞬間を表したものだと考えれれています。
よく見ると股には突起があり、それは赤ちゃんが頭を出した瞬間そのものです。
私は数ある土偶の中でも「しゃかちゃん」と呼ばれている土偶が気に入っており、愛嬌のある眼と丸い口からなる穏やかな表情は、眺めているだけでほっこりとした気分になります。
また、縄文のシンボルとして知られる釈迦堂遺跡出土の水煙文土器は曲線による美しさと迫力を併せ持ち、縄文人の技術力の高さが伺えます。
私はこのいくつもの渦巻きが絡み合う神秘的な造形美から、縄文文化が数千年の時空を超えて驚きと感動を伝えてくれていることに感銘を受けます。
そもそも釈迦堂という地名は縄文時代の「ミシャクジ」という石棒や丸石、奇岩、大木などに降臨する古い地神に由来すると言われています。
これら釈迦堂遺跡出土品を展示する「釈迦堂遺跡博物館」は2020年4月頃まで改装工事が行われますので、リニューアルまでは私の画像でお楽しみ下さい。
山梨県立考古博物館と甲斐風土記の丘・曽根丘陵にある古墳群
そこで、釈迦堂遺跡博物館が工事中の間はやはり、「山梨県立考古博物館」がおすすめです。
この博物館は甲府盆地の南部「甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園」にあり、山梨県内で発掘された数多くの縄文時代の造形美豊かな土器を見学することができます。
曽根丘陵地域では、旧石器時代からの数々の遺跡が分布し、国指定史跡の前方後円墳「甲斐銚子塚古墳」、円墳「丸山塚古墳」や楕円形の「かんかん塚古墳」もあります。
特に「甲斐銚子塚古墳」は全長169m、高さ15mの東日本最大級の前方後円墳で、円筒埴輪や朝顔形埴輪、つぼ型埴輪の他に石室からは青銅鏡、勾玉などの副葬品も多数見つかっています。
この考古博物館のおすすめ縄文土器は、一の沢遺跡出土品で、大きな把手や装飾が施された深鉢型土器は縄文土器の傑作だと思います。
また、均整のとれた殿林遺跡出土の深鉢形土器は、高さ72㎝の大型土器で曲線文様の割り付けも美しく、これまでに4度、海外での展覧会に出品されています。
一方、渦巻と言えば、「山梨の自然と人」を基本テーマとした山梨県立博物館の桂野遺跡大型深鉢土器が代表です。
これは笛吹市の桂野遺跡から出土した縄文時代中期後半の土器で、円筒形の胴体部全体に渦巻状の文様が描かれており、逆巻く川の流れを思わせる躍動感に満ちた造形美です。
私個人としては南アルプス市ふるさと文化伝承館に展示されている「子宝の女神ラヴィ」で知られる鋳物師屋遺跡(いもじやいせき)から出土した円錐形土偶もおすすめです。
「ラヴィ」はキャラクターにもなっており、土偶キャラの日本一にも輝いています。
この土偶はこれまで7回も海外の展示会で紹介されている日本縄文文化の「顔」役の一人で、妊婦さんのようなお腹の中に赤ちゃんを宿している姿をしていて、左手はお腹の上に大事そうに添えられています。
中部高地山麓の「梅之木遺跡」と霧ケ峰高原の八島ケ原湿原
今回の視察では山梨県の博物館に加えて北杜市明野町にある国史跡「梅之木遺跡」と黒曜石製石器作りの遺跡でもある霧ケ峰高原の八島ケ原湿原も訪ねました。
明野と言えば「日照時間日本一」の北杜市に広がる明野のひまわり畑が有名です。
約60万本という圧倒的な規模を誇り、映画『いま、会いに行きます』のロケ地にもなった場所で、今は盛りで咲き誇る一面のひまわり畑はまさに圧巻です。
「梅之木遺跡」はそのひまわり畑に近い場所で発見された、約5千年前の縄文時代中期の集落跡で、竪穴住居跡に加えて川沿いに敷石住居と集石土坑、縄文時代の道なども見つかっています。
2014年3月18日に国の史跡に指定され、現在は史跡公園としてガイダンス施設が併設され、地元ボランティアの手によって毎年1棟ずつ縄文時代の住居が復元されています。
この中部高地の玄関口となる梅之木遺跡に立つと、幾重にも連なる山並みを見渡すことができますが、今に残る豊かな自然と遺跡の姿から、数千年前の縄文人の営みも思い浮かべることができます。
農耕民族と呼ばれる日本人が創り出した田園風景のルーツは、稲作を始めた弥生時代にありますが、それよりもはるか数千年前には真の日本風土のルーツとなる森や山に囲まれた風景がありました。
その風景はこの梅之木集落付近の中部高地山麓と集落を包む森、山麓を刻む清らかな水を集めた川の景色かと思います。
星降る中部高地の縄文世界—数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅─
日本遺産ストーリー 〔山梨県:甲府市, 北杜市, 韮崎市, 南アルプス市, 笛吹市, 甲州市〕
日本の真ん中、八ヶ岳を中心とした中部高地には、ほかでは見られない縄文時代の黒曜石鉱山がある。
鉱山の森に足を踏み入れると、そこには縄文人が掘り出したキラキラ耀く黒曜石のカケラが一面に散らばり、星降る里として言い伝えられてきた。
日本最古のブランド「黒曜石」は、最高級の矢じりの材料として日本の各地にもたらされた。
麓のムラで作られたヒトや森に生きる動物を描いた土器やヴィーナス土偶を見ると、縄文人の高い芸術性に驚かされ、黒曜石や山の幸に恵まれて繁栄した縄文人を身近に感じることができる。
なお、山梨県・長野県「縄文文化に触れる旅」ハーフタイムツアーズ番組映像(前編・後編)は下記となります。