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日本遺産ソムリエ・インタビューシリーズ

ロケ芸人として数多くの日本遺産を訪問。チャンカワイさんが考える日本遺産普及への道

芸人

チャンカワイさん

チャンカワイさん

Profile

1980年三重県名張市生まれ。お笑いコンビWエンジンとして活躍する傍で、ロケ芸人として年間約250日ほどロケで様々な場所を訪れている。
ロケで日本遺産の7~8割を訪れた経験から、日本遺産検定に興味を持ち、無事日本遺産検定3級を取得。

Web

ロケ芸人として世界各地を旅し、日本遺産も数多く訪れているチャンカワイさん。仕事で得た知識や経験を活かし、2024年春に日本遺産検定を受験して、無事3級に合格しました。そんなチャンカワイさんに、日本遺産への思いを語っていただきました。

インタビュー:佐藤将 / 日本遺産普及協会

ロケは年間250日、日本遺産の7~8割を訪れて魅力を体感

ーーチャンカワイさんはたくさん旅をされていますね。どのようなきっかけで旅をするようになったのでしょう?

両親が旅行好きだった影響もあって、子供の頃から旅をする機会が多かったんです。

テレビに出演するようになり少しずつロケに行く仕事が増えていって、数えたら2023年は年間250日くらいロケに行っていました。

「47都道府県制覇しましたか?」とよく質問されますが、東西南北の日本の最端もすべて制覇したくらいですから、47都道府県は何回行ったかわからないくらい訪れています。

ーーそんなチャンカワイさんが印象に残っている旅があれば教えてください。

小学生の頃に伊勢の「夫婦岩」を見たんです。
しめ縄でつながったふたつの岩がまるで夫婦で仲良くマフラーをしているように見えて、こんな場所でプロポーズできたらいいなと思いました。

そして実際に将来、そこでプロポーズをしたんです。

奥さんが金属アレルギーということもあったので、真珠の産地・伊勢を旅する道中で少しずつ”真珠”のことを刷り込んでいって奥さんが興味を持ったところで、用意していた真珠のネックレスを渡してプロポーズ。
結婚が決まりました。

伊勢の「夫婦岩」

ーー素敵なお話ですね!

驚いた話でいうと、「世界の果てまでイッテQ」という番組のロケで北極に行ったんです。
北極では氷の上を歩いてトイレに行ったりするんですが、その時に「20年くらい前から氷が溶けてきている。薄くなっているところがあるから気をつけろ」と言われた経験があったんです。

その後、日本に帰ってから、海産物を採る海女(あま)さんから話を聞くロケに行った際、海女さんが「20年くらい前から海が深くなった。昔採れた場所でアワビが採れない」と言っていたんです。
氷が溶けた話と海が深くなった話がそこでひとつになって、世界の海はつながっているんだな、と思いました。

まあこの話を学者さんにしたら、それは関係ないと思うと言われてしまったんですが、自分の中では現地で実際に聞いて感じた話ですから、何かの関係がそこにはあるんじゃないかと思っています(笑)。

ーー心温まるエピソードから、驚きのエピソードまでありがとうございます。日本遺産もかなりの数、訪れているのではありませんか?

そうですね。
構成文化財に訪れただけで1件と数えるならば9割がた行っていることになると思います。
でも、”日本遺産のストーリーに触れて、その魅力を感じた体験”をひとつとするならば、7~8割といったところでしょうか。

訪問した件数を数えにくいのは日本遺産のひとつの弱点かもしれませんね。
こういった認定地を巡る旅は、行った先をカウントし、制覇したいという旅心をくすぐるものだと思うので、スタンプ集めじゃないけれど、わかりやすい形で数えられるといいのですが。

ーー日本遺産のエピソードがあれば教えてください。

僕は日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」に認定されている三重県伊賀地区の名張市出身なんです。母が「語り部」をしていたので様々な話を聞きました。

徳川家康の元で活躍した”服部半蔵”は伊賀の里の英雄だったんですが、当時半蔵の首を狙う者がいたので、里中の人々が”服部”と名乗っていたそうです。半蔵を里の中で隠すための忍法ですね。
その名残で伊賀地区には”服部”姓が異常に多いんです。たしかに学校のクラスにも何人か服部がいたし、僕の姉も服部に嫁いだくらいですから。

それから、伊賀市は元々「上野市」という名前だったんです。
東京にも山手線の駅がある「上野」という地名がありますが、徳川家康の命の恩人である服部半蔵のふるさとを忘れないようにと、この名がつけられたという説があるんです。
まあ、せっかく江戸に「上野」が作られたのに、本家の「上野市」が「伊賀市」になっちゃうという状況に今はなってしまったのですが・・・。

服部半蔵の屋敷があった場所に「半蔵門」という地名が残っているし、日本遺産を掘り下げていくと地域と地域がつながってくるのも面白いですね。

豊富な旅の知識と経験を活かして

ーーなぜ日本遺産検定を受験しようと思ったのですか?

ロケをしていると「日本遺産に選ばれている」というフレーズがよく出てくるんです。
気になって調べてみたのがきっかけです。

最初はなんとなく「世界遺産の日本版」のようにしか思っていなかったのですが、「地域」を対象にしていることや、点在している文化財をストーリーでつなげる取り組みであることがわかって、興味を持ちました。

「日本遺産検定」があることを知り、公式テキストを手に入れて模擬問題などを解いてみたら、ロケで回った経験から意外と解ける問題が多かったんです。
そこで受験をしてみようと思いました。

チャンカワイさん

ーー日本遺産の勉強をしてみていかがでしたか?

リポーターとして紹介してきた地域について、どこまで自分が理解しているか、今まで経験してきたことと、歴史や文化との答え合わせをしているようで楽しかったです。

行ったことがない地域については、ポータルサイトやテキストを読み込んで新しい知識を得ていくのが面白かった。行きたいところも目星がつけられたし、勉強してよかったです。

ーー具体的にどこに行きたくなりましたか?

実は奥さんが妊活中に鳥取県の三徳山・三朝温泉に行ったんです。

当時は普通に旅の話を聞いていただけでしたが、今回日本遺産ストーリーを勉強して認識が変わりました。

三徳山・三朝温泉が日本遺産「六根清浄と六感治癒の地」に認定されていることや、断崖絶壁での参拝により六根を清め、湯治により六感を癒すといった参詣の内容を知り、奥さんがそんな思いで妊活をしてくれていたんだな、と感動し、自分も行ってみたいと思いました。

このように感じることができたのは、日本遺産を勉強したおかげです。

共感できる「旅のモデルケース」を発信していくことが、日本遺産の普及につながる!?

ーー日本遺産を普及するためのご意見があればぜひ教えてください。

僕がリポーターをしていて感じるのは、メディアでは「ここは日本遺産です」と紹介はするけれど、「日本遺産とは何か?」の説明をしません。
それは、「世界遺産」が認知されているから、「日本遺産」という言葉を説明しなくてもなんとなく「世界遺産の日本版かな?」とわかっている感じになるからです。
そこから一歩を踏み出して「日本遺産とは?」と考える人はなかなかいないのだと思います。

日本遺産を普及するには、おおいにメディアを利用したらよいと思います。
旅は共感が大事です。もっとポップに、実際に日本遺産に足を運ぶ「旅のモデルケース」を作って、モデルが発信する感想をたくさんの人に見てもらうんです。

日本遺産のストーリーは素晴らしいし、点と点だと思っていた文化財が面でつながっていることを知るのはとても気持ちが良い経験です。

でも、示された文字だけで、それをフックとして興味を持ち、深く調べていく人は少ないと思います。

人それぞれ心に引っかかるフックは違います。
「旅のモデルケース」で日本遺産に関わる人情、生の声、におい、おいしい食べ物などを結びつけて紹介していくことで、誰かのどこかのフックに引っ掛かって広まっていくのではないでしょうか。

日本遺産のストーリーの詳細が味わい深いメインディッシュだとしたら、そこにたどり着くまでの前菜やスープが必要ということですね。

ーー最後に日本遺産検定の受検を検討している方にひとことお願いします。

ここにたどり着いてこの記事を読んでいる方は、すでに日本遺産を知る旅への大いなる一歩を踏み出している人だと思います。

ぜひ日本遺産ソムリエ同士でおおいに日本遺産を楽しみましょう。